実は、このフィリピの信徒への手紙が何のために書かれたかと言えば、今日の
箇所にある「わたしはあらゆるものを受けており、豊かになっています。そちら
からの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばし
い香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。」に尽きます。フィリ
ピ教会は獄中にあるパウロの大変さを覚えて献金と献品を送りました。その厚意
に感謝しつつ受け取りましたという受領書がこの手紙なのです。この言葉にある
「受ける」という単語は(アペコー)であり、これは当時の領収書に書く言葉で
した。今で言えば請求書の上に『受領済』と印を押すような言葉です。それに加
え、様々なアドバイスや連絡事項を足してひとつの手紙となったのでした。
ただパウロらしい点は、このフィリピ教会の献金と献品について同時に「それ
は香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえ」であると解釈し直
している点です。単に彼への個人的な支援だけでなく、神様への良き《ささげも
の》になっていると言うのです。今回の行為を何より神様が喜んでくださってい
ると。これはイエス様が『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小
さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである』(マタイ25:40)
と言われたことに基付いていると言い得ます。故にパウロは続けて「わたしの神
は(=他の伝道者はどう言うか分からないが)、あなたがたに必要なものをすべて
満たしてくださる」と、必ず祝福を持ってあなたがたの行為に報いてくださるか
らねと約束しているのです。以上のことは、たとえ直接的な神様への献金でなく
ても、困っている誰かを助ける行為を必ず神様は見ていて下さり、喜んでくださ
って祝福して下さると教えていることになります。これはフィリピの教会員たち
への励ましの言葉と同時に私たちにとっても大いに励ましになる言葉ではないで
しょうか。
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