月末に一度、旧約聖書の詩篇を最初から一つずつご一緒に読み進めて行きた
いと願っています。
この詩編第一篇は詩篇全体の序論になっていると言われます。この説に従え
ば、最初が「いかに幸いなことか」(原文=アシュレー ハイシュは「幸せな
人は〜である」の意味)から始まるということは、詩篇全体が本当に幸せな人
とはどういう人なのかというテーマをめぐって書かれているとも読めるのです。
これはイエス様が山上の説教の最初に「幸いな人は、心の貧しい人々である」
と教えられた思いと通じているのではないでしょうか。
この詩編では「幸いな者」と「神に逆らう者」とが対比なされていますが、
昔はユダヤ人とクリスチャンのことだと読まれたりもしましたが、何か特定の
人たちに分けてしまおうとしているのではなく、むしろ私たち信仰者でも時に
は神に逆らう者に陥ってしまうことがあると受け取るべきでしょう。そうなら
ないために「神に逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまら
ず、傲慢な者と共に座らない」生き方を為していくべきだと。そして「主の教
えを愛し、昼も夜も口ずさむ人」こそ「流れのほとり(=神様のそば)」で生
きて行けることが出来るのだと。その人は「ときが巡り来れば実を結び、葉も
しおれることがない」と教えられているのです。
この詩編が人間の幸せに関して《誰とどこで生きるか》という点に注目して
いることがとても大事だと思います。自分の才能や実力を伸ばすことに汲々と
している現代人にとって、むしろどんな場所で誰と一緒に生きていくかという
事に注意しなさいと教えてくれているのです。幸せになる秘訣はその点にある
と。悪しき者たちに加わらず、良き場所に「植えられた木」として神様のそば
近くで根を下ろし、枝を張って生きて行くならば、いつかちゃんと「実を結ぶ」
ことへと導かれると!
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