今日の箇所には、この黙示録の著者ヨハネさんの現状が記されています。そ
れは「わたしは、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島に
いた」です。当時のローマ皇帝ドミティアヌスは、エーゲ海に浮かぶ小さなパ
トモス島を監獄にして、帝国に逆らう反逆者や政治犯を閉じ込めたのでした。
ヨハネもそのひとりでした。ただし犯罪を起こしたのではなく「神の言葉とイ
エスの証しのゆえに」捕まえられたと。これはキリスト教への迫害です。イエ
ス様のことを伝道すること自体が社会を惑わすとされて騒乱罪に問われたので
した。おそらくローマ市民権を持っていなかったヨハネには、粗末な食事と劣
悪な住環境、石の切り出し等の強制労働が課せられていたでしょう。7節で、
この地上に再臨されるイエス様の姿を「すべての人の目が彼を仰ぎ見る、こと
に、彼を突き刺した者どもは」と名指ししているのはまさにローマ帝国とその
兵士たちのことなのです。
しかしヨハネはそのような厳しい状況に置かれながらも「ある主の日のこと、
わたしは霊に満たされていた」とあるのは、彼が礼拝を牢獄の中で行っていた
ことを表しています。主の日とはイエス様が復活なさった日曜日のことだから
です(=主日礼拝)。その礼拝の最中に「後ろの方でラッパのように大声を聞
いた」のでした。その声こそイエス様の声であり、ヨハネにこれから為すべき
使命(=あなたの見ていることを巻物に書いて教会に送れ)を与えられたので
した。このヨハネの霊的な体験は彼だけでなく、私たちにも実は与えられる可
能性があります。なぜなら、主の声を聞くことが礼拝だからです。私たちが主
の日の礼拝を献げている時に、新しい使命が示されたならば、それこそ主の声
なのです。イエス様こそ「今おられ、かつておられ、やがて来られる方」であ
り「アルファであり、オメガである」方なのですから!
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