ヨハネは「主の日」であった日曜日に、獄中の中でも礼拝を献げていました。
その時「後ろの方でラッパのように響く大声を聞いた」のでした(旧約聖書で
は神様が出現される時にはラッパ=角笛が鳴り響きました)。ヨハネは「語り
かける声の主を見ようとして振り向いた」のでした。この時には誰が彼に話し
掛けたのか分からなかったからでしょう。すると先ず目に入って来たのは「七
つの金の燭台」でした。光っている物が最初に見えるのは当然でしょう。そし
て更に目を凝らして見ると「燭台の中央には、人の子のような方」がおられる
ことに気が付いたのでした。それがイエス様でした。イエス様が「右の手に七
つの金の燭台を」持って、わざわざ地上のヨハネの元に天から降りて来られ、
声を掛けられたのでした。
ここでの「七つの燭台」が何を指すのかは、20節で「七つの燭台は七つの教
会(=ヨハネが関係するエフェソやスミルナなどの教会)である」と教えてく
れています。
ここにはとても重要なことが述べられています。即ち、《地上の一つ一つの
教会のための燭台が天に置かれている》ということを示しています。つまり、
地上のすべての教会の数だけ、何千何億の燭台が天に置かれているのです。そ
こに光が燈っているということは、その教会が生きている、いや、生かされて
いる証拠となっているのです。その光こそ《生命の光》であり、地上のすべて
の教会は一つ一つ天で覚えられ、祈られていることを示しているのです。特に
ヨハネに関係している七つの教会の燭台を持って来られているということは、
@イエス様がこれらの教会の生死を握っているという意味であり、Aヨハネが
これらの教会に「巻物を書いて」指導する必要があること、そうすればこれら
の燭台の光が再び燃え上がるようになることを示されていると言い得るのです。
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