月末に一度、詩篇を読み進めますが、特にその詩篇が歴史的にどう読まれて
来たかということも一緒に見て行きたいと思っています。この詩編2編でいえ
ば2節の「主の油注がれた方」と7節の「お前はわたしの子、今日、わたしは
お前を生んだ」と言われている人物が誰の事を指しているのかということでそ
の読み方が分かれて来ました。ユダヤ教では代々その人物をダビデだと見做し
て来ました。預言者サムエルによって油注がれ王様に即位したことを指してい
ると。しかし、キリスト教徒はこの「油注がれた方(=メシア・救い主、ギリ
シア語のキリスト)」こそ、イエス様に他ならないと当初から一貫して読み取
って来たのでした。特に今日併せて読みました使徒言行録にありますように、
イエス様が復活し、昇天され、天の玉座に座られたこと、その即位を預言した
言葉として引用されて来たのでした。
この点で有名なのが、ヘンデルが作曲したオラトリオ『メサイヤ(=メシア)』
です。この大曲の第二部の終わり、復活されたイエス様が天に昇られ、今もこ
の天と地を支配されて居られることを示す言葉としてこの詩編中の「天を玉座
とする方は笑い、主は彼ら(=主に逆らう地上の王や支配者たち)を嘲り憤っ
て恐怖に落とす」(4〜5節)や「鉄の杖で彼らを打つ」(9節)が用いられ
ています。そしてそのような「主を避けどころとする人はすべて、いかに幸い
なことか」(12節)と続けて有名なハレルヤコーラス(=『王の中の王、全能
の主なる神統べたもう』)が歌われるのです。あのハレルヤの大合唱はこの詩
編2編を基にして、天上でのキリストの即位と支配を褒め称えている歌なので
す。
神の子であるイエス様が、この地に降り自ら十字架に架かられたことで私た
ちをも神の子として下さいました。今も天から子として見守って下さっている
のです。
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