このヨハネの黙示録が書かれた時より40年も前に、今日の箇所に登場するエ
フェソ教会で三年間伝道をしたことのあるパウロが、教会の長老たちに対して
警告をしている言葉が使徒言行録20章29節に出て来ます。即ち「わたしが去っ
た後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすこ
とが、わたしには分かっています」です。まさにこの言葉の通リ、ユダヤ教へ
引き戻そうともくろむ教師たちが再三入り込んで来ては信徒たちを惑わしたの
でした。にもかかわらずエフェソ教会は今日の箇所にあるように「自ら使徒と
称して実はそうでない者どもを調べ、彼らのうそを見抜い」て来たのでした。
彼らは必死に教会を守り、正しい信仰を固守したのでした。その「行いと労苦
と忍耐」は素晴らしかったと天のイエス様がここで褒めておられるのです。
しかし、その一方で余りにも厳格に正しさばかりを追求し固執して来たこと
で「あなたは初めの愛から離れてしまった」とイエス様から叱責を受けるので
す。そしてこのまま彼らが「悔い改めなければ、あなたの燭台(=教会の生命
の炎)をとりのけてしまおう」と言われたのでした。このイエス様の言葉は決
定的です。教会がどんなに自分たちの信仰の教義や教理の正しさを有していて
もそこに「愛」がないなら、教会が存在する意味はないということです。パウ
ロがコリント教会への手紙の中で「信仰と希望と愛、この三つはいつまでも残
る。その中で最も大いなるものは愛である」と言う言葉と通じます。教会が何
かを判断する時に、その最終的な基準となるのは<それは愛から出た行為なの
か>にあるのです。
このことは教会だけに関わることではないでしょう。往々にして私たちは他
者を裁くことで自分の正しさや正当性を維持しようとしてしまう愚かさを犯す
のです。
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