黙示録の2章から始まる<7つの教会への手紙>は基本的に各々の教会に対
するイエス様からの励ましとなっています。最初のエフェソ教会も、途中で
「あなたは初めのころの愛から離れてしまった」と叱責を受けていますが、そ
の前後は「あなたはよく忍耐して、疲れ果てることがなかった」や「だが、あ
なたには取り柄もある」のように良き評価をする言葉もちゃんと添えられてい
ます。そして何より最後には「勝利を得る者には、神の楽園にある命の木の実
を食べさせよう。」という祝福を約束する言葉で閉じられています。この約束
の言葉を信じて信仰を持ち続けて生き抜いて欲しい、それこそが「(この世に
対して)勝利を得る」ことなのだからと。まさに励ましの言葉です!
ここに「命の木の実」が登場しています。あの創世記3章で、エバとアダム
が知恵の木の実を取って食べてしまった後に、神様が「人は善悪を知る者とな
った。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるお
それがある」と言われ、その木に至る道に人が来ないようにされた、あの命の
木の実であり、この実を食べることで永遠の命を得るのです。
ただ、間違ってはいけないことは、その命の木の実は天の楽園に用意されて
いるものだということです。つまり、この地上ではその命の木の実を手にする
ことは出来ません。これは、この世では不老不死になる食べ物も薬はないとい
うことを示しています。故に、私たち信仰者も一度は必ず<死を迎える>とい
うことなのです。しかし、この世にあって神様を見上げて生きた者(=勝利を
得る者)は、この世の死で終わることはなく、その死の向こう側に主とともに
生きる時が待っているという約束の言葉なのです。それを聖書は
<永遠の命=復活の命>と呼んでいるのです。
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