3月1日
2020年3月1日

「黙示録K−自らを預言者とする罪」
 武田 真治 牧師  列王記上 21:8-19 ヨハネの黙示録 2:18-24


 ティアティラの町は小さな町でした。でもその町にある教会は「あなたの近

ごろの行いが、最初のころの行いにまさっていることも知っている」とイエス

様から褒められる程、少しづつ確実に成長して来た群れでした。大都会で急に

大きくなったエフェソの教会が「あなたは初めのころの愛から離れてしまった」

と叱られているのと対照的です。ただ、そのティアティラ教会でも問題がなか

ったわけではありません。「あなたに対して言うべきことがある。あなたは、

あのイゼベルという女のすることを大目に見ている」と苦言が呈せられていま

す。このイゼベルとは、本名でなく旧約聖書に登場するフェニキュア王の娘イ

ゼベルと重ねられていると言われています。彼女はイスラエルの王アハブと政

略結婚をし、異教の偶像バアル神をイスラエルに持ち込んだ人物でした。おそ

らくティアティラの教会の中に異なる信仰を持ち込んで来た女性であったので

しょう。問題は、なぜ彼女のことを教会は「大目に見て」しまっているかでし

ょう。

 想定されていることは、このティアティラの町は染色業や皮革加工業や毛織

物業などの産業で成り立つ町であり、各々の業種が今で言えば組合組織のよう

なギルドを組んでいました。おそらく何かのギルドの責任を担っている女性で

あり、経済的にも人員的にもティアティラの教会を支えていた人物であったと。

故にその行動が大目に見られていたと。そして、教会が出来ないのであればイ

エス様が直接その女性を裁くと次に言われています。ただし「わたしは悔い改

める機会を与えた」と。いきなり裁くではなく、チャンスを与えられています。

それでも悔い改めないならば、何らかの処置が下るのは仕方がない事ではない

でしょうか。そのまま放っておくことは教会の命にかかわる重大事となってし

まうからです!

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