2月7日
1999年2月7日

「エフェソ書の教会」

エフェソの信徒への手紙2章11−22


 エフェソの信徒への手紙をほぼ一年にわたって講解説教によって学んできました。

この書では、特に「教会」が何であるかを知る上できわめて大切なメッセージを含

んでいます。その要点を取り上げて講解説教の最後としたいと思います。

「教会」ということばはこの書で9回使われています。特徴的なことは、その教会

は、コリントの教会とかローマの教会というように個別の具体的な教会を指すので

はなく、普遍的な全体的な教会をあらわしていることです。永遠の愛のもとでキリ

ストを頭とする教会の役割や務めや目的が語られているのです。教会は「神の家族」

「新しい神殿」「キリストの花嫁」などという表現でも表されていますが、最も中

心的な教会のイメージは、「キリストの体」です。この表現は10回でてきます。

 キリストの体である教会は、この書ではその体の各部分がどうなっているかとい

う組織や形態に焦点があわされているのではありません。「神の招きによってどの

ような希望が与えられているか、聖なる者たちが受け継ぐべきものがどれほど豊か

な栄光に輝いているかを悟らせてくださるように」という祈りが全編を貫いていま

す。教会に与えられている希望と約束、それにふさわしく歩む歩み方が問題です。

教会は生きて動くものです。生きて働かれるキリストを頭とする生きた体なのです。

「時が来れば実現する神の計画」の中に入れられた「わたしたち」と「あなた方」

によって造られた体として、その実現に向かって成長する体なのです。

 教会は、かつて敵対していた「わたしたち」と「あなた方」、また、かつては自

分の過ちと罪のために死んでいたあなた方とわたしたちの集まりです。しかし、平

和であるキリストが、「二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔

ての壁を取り壊し・・・双方をご自分において一人の新しい人に造り上げて平和を

実現」してくださったことによって生きたものとなった体です。そしてこの平和は

やがて天にあるもの地にあるものの全てがキリストのもとに一つにまとめられるこ

とへと拡大していきます。この平和を身をもって証しし宣べ伝えるために召された

ものの共同体が教会です。たしかに、いまのわたしたちの教会があるのも、まさに、

キリストの平和が、わたしたちとあなた方の間に起こったことを実証しています。

思いもかけない人と一緒に礼拝し、主キリストによって神を讃美しているのですか

ら。


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