4月25日
1999年4月25日

「お言葉通りこの身に」

ルカによる福音書1:26-38


 「喜びなさい。恵まれた人。主があなたと共におられます。・・・恐れることは

ない。マリア。あなたは神から恵みを受けられました。ご覧なさい。あなたの胎に

男の子をやどし、その子を出産するのです」

 クリスマスごとに繰り返されるこの有名な情景。ここで、ルカがこの物語を伝え

るときに位置している場所は不思議な位置です。天使ガブリエルがガリラヤの一人

の少女のもとに遣わされていったことを見ているルカは地上ではマリアと一緒にこ

の不思議なお告げを聞いているのではありません。また天使と一緒に天からマリア

を見ているのでもありません。あたかも宇宙の彼方の観客席から、神が人間の世界

で新しく行われる大きな出来事を楽しんでいるような、そのような位置で主イエス

・キリストの誕生を告げています。そのような位置からでなければ、あまりにも小

さな世界の片隅ではじまった出来事がこれほど大きな波及力をもつ大きな出来事で

あることは伝えられないでしょう。歴史の中に永遠のものの現実的な働きを見る視

座です。この視座からいまわたしたちが生きている現実、礼拝しているわたしは、

どのような展開の始まりのときにいるのでしょう。

 物語に聞きましょう。いいなづけが決まっているといってもまだほんの少女にす

ぎないマリアに天使ガブリエルが告げたことは驚くべきことでした。あなたは男の

子を生む。その人はいと高き方、神の子と呼ばれる。まあなんと天使の言葉の一方

的なこと。マリアの状況や気持ち、備えや資格や能力などいっさいお構いなしです。

大きな危険をはらんでいます。それを「あなたは恵みを受けました。喜びなさい」

といっているのです。計画されたことを行おうとする神の強い意志、これが「恵み」

です。ここで、わたしたちが祈り求めている「恵み」とは何であるかについて改め

て教えられます。恵みは神の恵みであってそれ以外ではない。わたしたちの考える

資格や能力や状況に即して与えられる「恵み」は恵みのまねごとにすぎません。恵

みの中の恵みはこのように告げられています。

 恵みを受けた人マリアの恵みの受け止め方は見事です。神が計画された内容と人

間マリアの状況や資格ほどアンバランスなことはありません。しかし、「わたしは

主のはしためです。あなたのお言葉通り、わたしの身に起こりますように。」恵み

を受ける人はこれ以外の、これ以上の受け止め方はないでしょう。


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