8月1日
1999年8月1日

「権威と力とを持って」

ルカによる福音書4:31-41


 ガリラヤ湖畔の町カファルナウムの安息日の会堂に集まってきた人々。田舎の変

わりばえのしない安息日の礼拝に主イエスが加わり、教えはじめられると、静かな

世界が揺り動かされ、激しく何か新しい世界がはじまります。「人々は、その教え

に非常に驚いた。その言葉には権威があったからである」と記されています。何を

教えたかについては書かれていません。人々の驚きと、ただならぬ権威と力、人々

の心に響いてくる振動をのみ伝えています。それを、時を隔てて今読むものは、そ

のときの振動に深く耳を澄まして心にその驚きを感じ取ることが大切です。主イエ

スがわたしたちの礼拝の中におられるということは、そこで新しいときが始まって

いる現実に出会うのです。

 主イエスの権威と力をもった語りかけは、悪霊に取り付かれた人の突然の叫びに

よってさらに大きな驚きになって広がります。イエスの悪霊追放の物語を、古代人

の疾病感に基づいたイエスの奇跡物語、エクソシストとしてのイエス、などと客観

化してはいけません。悪霊と人間の心との関係がどうなっているのか、わたしたち

にはいまだにわかりません。精神の病気であるのか、環境のせいであるのか、ある

いは時代の病であるのか、と論じます。しかし、ある日突然人が変わったように、

悪い風が吹き込んだように、争いをはじめ、人を憎み、殺し、戦争をし、また時が

たつと、「あのときは魔がさした」などといっている事態はどこでもあります。悪

の正体を、わたしたちは見極めることができないのです。しかし、主イエスが生き

て働いておられるところでは、悪霊がその正体を現しています。不思議なことに主

イエスは、悪霊に向かって、人格をもつものに対するように強く叱ります。

「黙れ、この人から出て行け。」わたしたちの世界にある悪、争いと分裂、憎しみ

とねたみ、悪しき誇りと人格蔑視、無関心と他者に対して神に対して心を開かない

かたくなな心、これらはみなわたしたち一人一人の心の中にあって、しかも一人一

人の本当の人格性を奪い去っています。悪霊に取り付かれているものとはこのよう

なものでしょう。主イエスはその全体と本質とを見抜き、その全体に向かって正面

から向き合い、そのものと人間そのものとを引き離してくださいます。今、わたし

たちの世界で真に求められているのは、そのような力と権威です。マラナ・タ。


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