ルカによる福音書6:27-36
「あなたの敵を愛し、あなたを憎むものによいことをしてあげなさい。」これは あまりの強烈さによって静かに聞くことが出来ないような言葉です。確かに、主イ エス以外の誰もこのように人に教えることは出来ません。しかし、主のことばは、 間違いなく永遠から永遠に響き渡り、誰の胸にも響いています。 この言葉をよく観察すると、驚くべきことに、ルカはこの主イエスの言葉を実現 不可能な教えとしてではなく、日常的具体的な生き方として伝えています。敵は、 ここでは外国の戦争をする相手ではなく、あなた方を憎むもの、悪口を言うもの、 中傷するもの、右の頬を打つものできわめて日常的な関係の中であらわれてくるも のとして考えています。侮辱したり人の人権を侵すような暴力的振る舞いをするも の、これを愛することは、よいことをしてあげたり、祝福を祈ったりと、これも具 体的な行為の形で示されています。「汝の敵を愛せよ」は、人間の理想ではなく、 日常的な具体的な生活の課題なのです(!)。ルカは、この教えを「人にしてもら いたいと思うことを、その通り人にしなさい」という黄金律と結びつけています。 「敵を愛する」ことも黄金律も、結局人間の究極の愛の形があらわされています。 愛されるが故に愛する、相手の価値と態度次第で愛にもなり憎しみにもなる愛では ない愛の両極端が語られているのです。わたしたちの人間関係のただ中に、いと高 き方の子となる生き方が入り込んでくるとき、天においてわたしたちに与えられる 報いが何かを考える視点が入り込んでくるとき、何かが違ってきます。天の父のわ たしたちに対する愛が感じられるとき、親しいものには友情と誠意、敵対するもの には憎しみと攻撃、この連鎖は断ち切られます。 さて、現実的な日常の課題としての「汝の敵を愛せよ」は、本当に現実的な教え でしょうか。「蒔かないところから刈り取り、散らさないところから集める酷な教 え」なのではないでしょうか。人間の歴史は、また教会の歴史も、そのことを証し ているようです。しかし、これは本当に非現実的な教えなのでしょうか。むしろ、 この教えが現実的に働いているから、誰の胸にもどこか遠い声として響いているか ら、どの現実においても、「目には目を、歯には歯を」の関係によってではなく、 忍耐と寛容の心が働いているのではないでしょうか。そうでなければ世界はもう千 度も滅び去っているに違いありません。