ルカによる福音書6:43-45
「悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。木はそれぞれ の結ぶ実によって分かる。」 主イエスの話はたとえによってはなされます。生活の中で誰もが何かを学び取っ ています。神の愛も神の国に至る深い知恵も、わたしたちの生活し経験することの ただ中にひそんでいます。 「木はそれぞれその結ぶ実によって分かる」という主のたとえ、これをルカによ る福音書はマタイと違って、偽預言者のの偽善性を見抜く知恵としてではなく、自 分自身を点検する課題として伝えています。わたしたちの言葉や行いは、どのよう な心の倉から言葉や行いを取り出し、どのような実を結んでいるか、それは良い実 を結ぶ良い木になっているかが問題です。人の心は鏡のように外の世界を映すだけ のものではなく、倉庫のようなもので、その倉庫の中には良い物を貯えることもで きれば、また悪い物も貯えることができる。それぞれの人は心の倉から取り出して、 良いことや悪いことをし、また良いことや悪いことを言っている。主イエスは、わ たしたちが「いと高き方」神の子として生きるにあたって一人一人どのような心の 倉を持っているか、どのようなことを貯えているかを点検するように注意を促して いるのです。 現在さまざまな人間関係の問題と取り組むとき、「トラウマ、心的外傷」という ことばを聞きます。様々な形で受けた心の傷が、虐待や暴力の経験が心の傷になっ ていて、それが人間関係の中で障害となったり再生産されたりすることから、その 心の傷のことをトラウマといいます。心の倉の中にはこのような物を貯えているこ とに気づきその治療を行う必要があることを発見したのは最近のことです。それは 傷の癒しに関わることです。では、良い実を結ぶために、どのようにしたら良い心 の倉を形成することができるか、これについてはまだ現代人は見通しを持っていま せん。良い言葉を聞き、良い人とふれ、良い環境の中で育ったら、良い心の倉を育 てることができるかとは必ずしもいえません。ぼんやりした人になるだけでしょう。 弟子たちの良い、深い、広い、高い、心の倉を育てられる主イエスの心とその方法 に深く目を留めてみましょう。思い起こしてみましょう。主イエスとともに歩む者 が受けるショック療法、復活の証人になるための教育的な刺激はどのようであった かを・・・。