ルカによる福音書7:1-10
1999年の宗教改革記念日から新しい礼拝の場所で礼拝をはじめました。この 記念すべき日に聞くべき主の言葉は、ローマの百人隊長の僕の癒しの話し、百人隊 長が、「ただお言葉をください。そうすれば私の僕は癒されます」との言葉に、主 イエスが「イスラエルの中にさえこれほどの信仰を見たことがない」と驚かれた話 しです。「これほどの信仰」とはどのような信仰なのでしょうか。 この百人隊長の僕の瀕死の事態が主イエスの前にもたらされるまでの関係に注目 しましょう。百人隊長がユダヤ人の僕を大変重んじ、その病気について深く心配し ています。百人隊長はイエスの噂を聞いてユダヤの長老たちにイエスのところに行 って、ぜひ来て癒していただきたいと頼んでもらいます。ユダヤの長老たちはイエ スのところに来て、「あの方はそうしていただくのにふさわしい方です。わたした ちユダヤ人を愛して自ら会堂を建ててくれたのです」と願います。このようにこと が運ぶのはまことに不思議なこと、常識を越えたことです。ローマの百人隊長とユ ダヤ人の僕の関係、隊長とユダヤの長老の関係、イエスと長老たちの関係、どれも それぞれの関係は人間的な交わりが起こり得ない構造になっている関係です。結び つきようのない人々が結びつき、命の回復に向かって動き出しています。この人は まさに「敵を愛し、あなた方を憎むものに親切にしなさい」という主の言葉の実践 者です。しかも律法に養われた人でなくローマの軍人が異邦の文化の中でこのよう に生きているのです。 この人が主の家の近くまで来たとき人を遣わして、「どうか来ないでください」 と言ったことが「これほどの信仰」の中心内容です。来てください、と、来ないで くださいの興味深いアンビバレント、その内容はそれほど簡単ではありません。多 くの経験と認識、願いと決断の複合体です。その全体を貫いているのは二つのこと です。主イエスの存在と権威に全面的な信頼をよせ、深い恐れを持っていることと、 自分自身について、全くその方の前にでる資格のないものだと認識していることで す。それが「ただお言葉をください。そうすれば僕は癒されます」という言葉にな っています。この二つの感覚がわたしたちのうちでどれほど深くなっているでしょ うか。わたしたちの日々の祈りは、祈るか祈らないか、や信頼できるか信じること ができないかのアンビバレントに終わるような浅薄な信仰であってはなりません。