ルカによる福音書8:26-29
ガリラヤの湖で風も波も静められた主イエスは、また対岸のゲルゲサで、人間の うちなる嵐も静めておられます。レギオン(ローマの軍団で6000人の兵から構 成される)と自ら名乗るほど多くの汚れた霊に引き回されてきたこの男について、 特にルカ福音書はいくつかの言葉を補ってその性格を実存的な事態として描き出し ているようです。墓場を住みかとし、鎖につながれてもそれを引きちぎっては出没 する姿はどの福音書も共通ですが、ルカは、衣服を身につけず、汚れた霊に取り付 かれ、悪霊によって荒れ野へと駆り立てられたとしています。暴風に流されるまま になっている船のような有様で人間社会のなかで生きることができない人であるこ とを強調しているのです。この人は不思議なことに主イエスの本質を他の誰よりも 知っています。「いと高き神の子イエス」と叫びます。しかしそのことを知りなが ら、「それがわたしにとって、またあなたにとって何であるのか、関係ないではな いか」と叫ぶこと、この叫びがこの男を主イエスに近づけています。しかも、そう 叫びながら「底なしの淵へ行けと命じないで欲しい」と主に嘆願しています。悪霊 が、自分の本来の住みかである底なしの淵を恐れて、生きている人間を迷わし、そ こに陥れられることを恐れている。人間を迷わしているものの正体をユーモラスに、 深い洞察をもって捉えています。 この物語のドラマティックなところ、悪霊が豚の中に入り込み、豚が驚いて崖を 駆け降り湖に溺れて死んでしまったということは、これはあまり中心線とは関係が ありません。悪霊に取り付かれ手板人の回復の状況は目を見張らせます。服を着て、 正気になってイエスの足下に坐り、また主イエスのお供をしたいと申し出る人にな っているのです。一人の人として健康を回復しただけでなく、静かに主の足下で学 ぶ人に変わっているということは大したことです。社会性が回復されただけでなく 霊性が回復しているのです。この人のお供をしたいという申し出に対して、主は、 「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたにしてくださったことをことごとく はなして聞かせなさい」と命じられます。主は最も困難な道をこの人のために備え ておられます。この地方に福音の種が蒔かれるのは、結局、この人によってです。 主イエスのゲルゲサ訪問は数多くの信奉者を生み出したのではありません。ただ一 人を救っただけの実りの少ないものでした。しかし、この一人が神のみ業を語るこ とによって福音は芽を出し根を伸ばして行くことになります。