12月19日
1999年12月26日

「使徒−派遣された者」

ルカによる福音書9:1-9


 「わたしどもがキリストの誕生の日を祝うとき、そこで値打ちがあるのは、私ど

もが救い主を祝うということではありません。・・・最も大切なことは、私どもが

お召しを受けているということを自覚することであります。それは神の全能の力に

仕える群によって紡ぎ出されてきた意図を私ども自身においても生きて働く者とし、

さらに新しいいとまで紡ぎ出されるようにするということであります。」これはド

イツの牧師クリストフ・ブルームハルトの説教の中にある言葉ですが、キリスト者

の生活は、まさに、キリストにつながる意図を手繰りまた紡ぎ出すことに献身する

ことです。

 主イエスは弟子たちを、「神の国の福音をのべ伝え病人をいやすために」村々に

遣わされました。ルカによる福音書は、さらに72人を遣わしていることを伝えて

いますから、主イエスの宣教は、神の国に招いた人を、また宣教のために遣わすと

いう構造になっています。信仰者は自分が癒されるために、また、自分を養うため

にキリストのもとに来ます。しかし、主が与えてくださる健康と力とは、わたした

ちが自分を養い癒すだけで終わるような小さないのちではありません。もっと大き

な力強い命、神の国の命です。それは派遣され、のべ伝え、人の病に関わり、いよ

いよ明らかにされて行きます。

 主イエスは誰を遣わすのでしょうか。12人の弟子、彼らは特別の雄弁と力を持

っているのではありません。しかし、伝えなければならないこと、果たさなければ

ならない責任は恐ろしく重く、人間業ではできない種類の仕事です。また遣わされ

る世界は良識が通用する世界ではなく悪霊が支配しているような世界です。だから、

「あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気を癒す権能をお授けになった」と記されるのです。

必要な言葉、権威、力は主からいただくもの、それ以外ではありません。

 何のために彼らを遣わすのでしょうか。「神の国を宣べ伝え病人を癒すために・

・・。」主イエスと共に現実となった神の支配、主の救いの年の始まりを告げる働

きは、病人の癒し、悪霊の追放と共に伝えられます。信仰が求められると共に愛が

あかしされるのです。しかも、この派遣された者たちの旅は、準備に時間をかけ万

全の備えを持って出かけるのではありません。杖も袋もパンもお金も持たないで出

かける、そのような緊急の旅、旅をしながら必要なものを調達する旅です。わたし

たちもまた、このようにして、主に遣わされた者、使徒の旅を続けています。


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